“HIRO・17の頃の詩”のお部屋にようこそ

これが17の頃のHIROです。
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『夏の眩しい光には、まだ遠いけど
    今は今でパワフルにときめいて生きていくのだ!』
〜「初夏」から抜粋〜


 博樹が17のころ書いた40編ほどの詩の中の、一番最後の文章です。
「初夏」は彼が逝ってしまった日の2日前に書いた詩でした。

 2001.6.1。
我が最愛の息子、博樹は逝ってしまいました。
18歳を目前にした初夏に。

「17年間の博樹の人生は、幸せなものだったのだろうか?」
野生児のように裸足と薄着姿で走りまわっていた幼少時の博樹を想うたびによぎる思い・・・。

 思春期時代の博樹の日々は、どうしても自己を否定してしまう苦悩と
将来への不安を抱える毎日でした。
その辛い思いを、時には文章に表したり、詩に表したり、日記に綴ったり、家族に手紙をしたためたりして表現していました。
ある時期は、絵の世界にどっぷりと浸かって、わき起こってくる不安感や焦燥感から解放されようとしていました。
もがき苦しんだ思春期。
その時期を、思春期病棟で過ごし、自己の内面を深く見つめながら生きていた博樹。

 彼が逝ってしまってから、残された彼の詩を日記帳や親への手紙やメモ帳などで見つけた時に、
最初は、苦しみ・悲しみの多い博樹の文章は、母にとっては切なすぎて心を痛めつけるだけでした。

しかし、時が経つにつれて、
それらの詩が私の今の辛い心の内を代弁してくれるように感じたり、悲しみを慰めてくれたりと、
徐々に『癒しの詩』に変わっていったように思います。

 ・・・・・生きていくことの辛さ・・・・。
思春期という人生で一番多感な季節だったから書けた詩。
でも、その『博樹の心の叫び』・『博樹の祈り』は、今の私のように辛い思いを心の内に秘めた人達には響き、 そして『癒し』になってくれる、
そんな力を博樹の詩が持っていることに気が付いたのです。
 
今年の『夏の眩しい光』を見ることなく逝ってしまった博樹。
『パワフルにときめいて生きていきたかった』博樹。
それなのに・・・・
そんな風に思ってしまった時、今でも胸が締めつけられるように痛みます。
心が鉛のように堅くなっていくのを感じます。

でも、幾たびも幾たびも彼の詩を読んでいくうちに、博樹をとっても身近に感じることができるようになってきたのです。
そして、生きていた時以上に彼の心が分かるようにも・・・・。

愛する博樹を、心の中でいつもいつも力一杯抱きしめています。
これからも、ずうっと・・・・。
永遠に・・・・・・。

                  博樹の母

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