2月のショートストーリー

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2001.2.4  『四』

 「また今月も4日が来たのか」
一人僕は二月初めての週休みの朝に呟いた。
僕は、この世の中の数字で四が嫌いだった。
 これは、かなり昔にさかのぼるが、周りの友達と遊んでいた僕は、当時まだ幼稚園児で、
みんなで四つ葉のクローバーを見つけようという話になった。
 その時は、全く四の数にこだわりは無かったから、みんなと一緒に四つ葉のクローバーを必死で探しまくった。
しかし、僕を含めて遊んでいたメンバーは、
「あった」とか「僕も四つ葉のクローバーを見つけた」
とか言って、全員見つけたのだが、僕だけはいくらたっても、日が暮れても見つけることができず、
結局幼稚園の友達一人に、
「あたし2つも取れたからあげるよ」
と言われてしまい、僕はこの時、何でかは全く解らなかったけど、その子のクローバーを貰おうとして、
「やっぱりいらない!」
と言って、さっさとそのクローバーのとれた4人組から逃げてしまった。

 それ以来、何故と聞かれたら困ってしまうのだが、四とつく物はあまり好きではなくなった。
もちろん、キャンプの4人組とかは心の中で最悪だと思ったし、
ある時に、ある病院に通院した時の薬の順番待ちの番号が「444」の時があったのだが、
その時は一日中親に「大変なことが起きた」
と言うほどに、四なる数字を好まなくなった。
 親や知人のみんなは、口を揃えて、「四は幸せな数」だなんて生きていく上で僕を励ましてくれたから、
その時その時は「ああ」とか「うん」とか「ありがと。そうだよね」と言って誤魔化したが、
やはり例の「444」は絶対に頭の中から嫌な思い出として離れなかったし、
だいたい他の漢字に表しても『死』とか『刺』とかしか思い浮かばなかったので、
「なにが幸せだ、不幸せの間違いじゃないのか」
と思っていた。
 が、少し、「四が嫌いなのはただの自分のこだわりなのでは?」と考えてみた。
たかが数字の『四』。
それをどう受けとめるだけじゃないかと考えたら、
なんだか周りの人達が「四は幸せの意味を持つ」と言っていた事とも重なるということに気がついた。
 けど、やっぱり、だからといって、
今日の4日からその『四』を大好きな人の一人にはなれないのは当たり前だと思ったので、
朝起きた僕は、こんな『四』のことをバカみたいに考えるより、
外に出て四のことを気楽に忘れてしまおうと思った。
 だけど、やっぱり忘れられないのが人間だったりして。

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2001.2.19  『博物館』

 本当は素直にしたい気持ちを敢えて難しくしてしまうところは、僕の一つの欠点だと思った。

 二月の後半の夜、昨年の冬を締めくくるように、
この季節だからこそ美しく輝きを放つオリオン座が僕の瞳にくっきりと映った。
こういった星座は地球の周りを回るうちに星と星の間隔がはなれちゃわないなんて凄いなとも思った。
 などと、昨日の僕はボケーッと夜中に星を見ていたのだが、何を考えていたんだろう。
昨日の自分、昨日の自分・・・
一つだけ言えるのは、今、何の為にこのちっぽけな世界にいるんだろうということ。

こんな世界の一角に、こんな形だけど生きているんだ、
と思いながら星を見ている自分がいる。
こうやって感動したり夢を見たり楽しんだり・・・
けど、最近の僕は現実の世界にぶつかるのが苦手だった。
僕は常に輝く星や、この地球は好きだったが、都会や人間は苦手であった。
「なんで親は外に出ろ、外に出ることを考えろ」
というのか、意味が分からなかった。

 そんな今日、母親は僕が寝ている間にこっそりと枕元に星の博物館のパンフレットを置いて、
職場に出かけていった。
 僕はそのパンフレットを見た。
きれいな冬の星座や一年間の星座、僕の牡羊座など、
本当に素敵な星の数々をパンフレットだけでも味わうことができた。
その時、「今度、その『博物館』に行きたい」という感情が生まれた。
 けど、外は嫌い。でも、星の博物館のことで頭がいっぱいになった。
どうしよう、どうしようと思っている時に急に母親が家に戻ってきた。
忘れ物をしたようだ。
 とっさに、もう博物館のことを考えるのはやめた。
だって、母親からのちょっとした誘いにもの凄く悩む自分がいることが気に入らなくなったからである。

 本当は素直にしたい気持ちを抑えて、敢えて難しくしてしまうところは僕の一つの欠点だった。
 だから、博物館にも結局行けずじまいになった。

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2001.2.23  『薔薇の刺』

 頭の中は、今日という希望の光でもなく、明日という何があるか全く解らない道でもなく、
“昨日”という過去の、本当だったら考えても無意味なところにあった。
 薔薇の刺のような言葉、昨日ある女性が僕に言った言葉が僕の心をブスッと刃物のように刺した。
たった一つだけの言葉。
「君は本当に適当だね」
が心の中に潜みまくった。
特に、『適当』が急所をつく一言だった。
 それは、今までに言われたこともない言葉だったし、
何で急にそんなことを言われたのか訳が分かんなかった。
 頭の中は真っ白になっちゃうし、
特にその子と仲が良く話をしている時に言われた「て・き・と・う」なる言葉だったので、
昨日はその彼女に顔を合わせることもできなくなってしまった。
4,5人で話をしている最中だったので、何か彼女が誤解しているのかとも思い、一度だけ、
「さっき、君が言った言葉はどういう意味?」
と聞いてみたが、返ってくる言葉は全く同じだった。
だから、心に急にできた傷はさらに倍増して、傷む心を抱えながら学校から家に帰った。
 けれど、幾ら考えても訳は全く解らなかったし、傷は痛み続けるので、
家に帰った後でさっき一緒に話していた男友達に聞いて貰った。そしたら、友達は、
「たぶん、お前の生活態度の中で、何処かに当てはまると、どっかで感じたから、心が痛むんじゃないか?」
もちろん、彼の言ったことを全て間に受けはしなかったが、彼の言ったことに一理あったのかもしれない。
だから、もしかして自分に自信があったのなら、彼女の言葉に傷つかなかったかもしれない。
 このまま彼女が言った言葉に惑わされるのであれば、
今の自分に、その「適当」というのは「いい加減」と捕らえるのではなく、
「適切に物事に当たる」と考えてやろうじゃないかと言い聞かせた。
 今日が始まってやっぱり頭の中は昨日のことでいっぱいだったが、
「プラス思考・プラス思考」
と自分に言い聞かせて、彼女から今日は離れることにした。

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2001.2.28   《2月のあとがき》

 一月の寒い風から、二月のバレンタインなる少しずつ温かな風に変わってきて、
二月のマーガレットも、そろそろHEROの頭の中では節目を迎え、
『明日』から三月という今日。
心の中では「早く三月になってくれ」という思いがいっぱいです。
 しかし、二月は一月に比べ、内容がきちんと書けてきたなという実感があります。
だが、これだけで満足はしてなくて、
やっぱり、この『マイ・ブック』でもっといい小説にしようという気持ちを沢山持ちつつ、
二月は書いていったような気がするし、
話のネタやオチを前より考えるようになり、他のメモ帳にも
「今日はバレンタインのことを書くことにするけど、どんな終わりかたにするか、もしくは続編を作るか」
などと頭の中でいろいろ考えた。
 そして、この二月でHEROが得たものといったら、何だろう・・・・
と考えてみた。
例えば、HERO自身が、今こうやって文章を書きながら、
いろいろと学んだり人生でこういうことは大切だなとか、これが感動の気持ちなのかとか、
そういったところから自分は半分入っているんだけど、
結構それで楽しいストーリーが書けたらなと相手サイトの気分や気持ちも考えて書いていた。
それから、今月は“自分”って何だろう、自分とはどんなもので、
そして相手の気持ちをHEROはどう思っているのか、
というのも大切にして書いたつもりですな。
 後は、二月はちょっと気分が悪い主人公が度々出てきましたが、
何故かというと、HERO自身、いろいろマジな話、情緒不安定だったかもしれません。
だから、とても出てくる登場人物が疲れていたり?
だから、三月のチューリップの月は美しい文が書けるように、今HEROは祈ります。

※注釈 3月まで博樹は自称“HERO(ヒーロー)”でした。
4月になった時に、自分から“HIRO”に変えると宣言しました。
 

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